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トピックス 2026 年 11 月 02 日

AlmaLinux ボードメンバー就任インタビュー:池田宗広が歩んできた Linux の歴史と目指す未来

波乱万丈のキャリアとフリーソフトウェアから始まった原体験

2026 年 10 月に、AlmaLinux OS Foundation のボードメンバーに新たに就任した池田宗広。本マガジンでもお馴染みのマルチタレントですが、今回はその素顔に迫ります。インタビューを通じて自身の生い立ちや Linux との関わりをはじめ、今後の展望などをたっぷりと語ってもらいました。

喫茶店員、工場の生産技術者、半導体開発……波乱万丈のキャリアから「裏口入学」でサイバートラストへ!?

まず自己紹介をお願いします。

池田:池田 宗広(いけだ むねひろ)です。「宗広」っていそうでいない名前なんですよね。同姓同名の人には今まで会ったことがありません。全国の宗広さん、もしご覧になっていたらご連絡ください!

サイバートラストではオープンプラットフォーム事業本部に所属しています。The Linux Foundation Jaan からは「LF Japan Evangelist」のタイトルをいただいており、OSS のサイバーセキュリティを向上すべく日夜活動にいそしんでいます。

キャリアの始まりは喫茶店の店員です。アルバイトではありますが、初めて真面目に「お仕事」として取り組んだのが神楽坂にあった今はなきお店なので、キャリアスタートは必ず「喫茶店の店員」と言うことにしています。

その後ちょっと特殊な機器を製造する工場の生産技術者として働きました。ここでは製造機の自作などをしていたので、機械、電気、ソフト、行動解析といった色々なことを学ばせてもらえました。あと班長さんには絶対逆らってはいけないこととか。

その後ひょんなことから一種の半導体開発に携わることになりました。詳しくは割愛しますが、皆さんもたまに利用するであろうとあるものに、このとき設計開発したデバイスが今でも使われていたりします。この辺りまではどちらかというとハードウェアエンジニアだったのですが、残念ながら事業に暗雲が垂れ込めてきました。そこで、お仕事でも趣味でもちょくちょくいじっていたソフトウェアを「どうせなら仕事にしよう」と考え、思い切ってソフトウェアエンジニアへの転身を図りました。

その後はバイオメトリクス関連のソフトウェア開発に携わり、そこから徐々に仕事で OSS と関わるようになりました。数年間の米国勤務中は完全に業務として Linux カーネルのコミュニティ開発を行いました。

帰国後はちょっと OSS から離れていたのですが、やはり OSS には魔力があります。再び OSS に関わるために、サイバートラストへの転職を決意しました。

オフィス見学に行ったところ、出てきた人がみんなコミュニティでの知り合いだったり、いよいよ面接だと思ったら採用通知だったり。そのおかげで入社時に全員課されるはずの試験を受けていない、ほぼ裏口入学状態でした。波乱万丈、幾多の試練はありましたが無事拾っていただき、それ以来 OSS のため、いやそれ以上にサイバートラストの仲間のために(社長、読んでますか!?)粉骨砕身、不撓不屈、絶体絶命、剛力招来の日々を過ごしています。

計算時間が 10 分から 1 分に!フリーソフトウェアの衝撃

Linux とのかかわりを教えていただけますか?

池田:Linux の前に、オープンソフトウェアについて話さなければなりません。当時はまだそんな言葉はなく、「フリーソフトウェア」でしたが。そんな老人のつぶやきみたいな内容で大丈夫でしょうか?許す。続けたまえ(自作自演)。

あれは 90 年代始めの頃だったでしょうか。当時シャープさんから出ていた名機の誉れ高い「X68000」—— 当時は一般的な「パソコン」と差別化して「パーソナルワークステーション」と呼ばれていました。その X68000 でポチポチとプログラミングをして遊んでいたのですが、当時書いたある数値計算を行うプログラムは、一回の計算に 10 分ほどかかるものでした。

そんなある日、同じく X68000 を使っていた先輩から「これ試してみたら?」と gcc を教えてもらいました。純正コンパイラから gcc に入れ替えて、「最適化オプションとやらがあるらしい」ということで、 -O2 としてコンパイルしてみたところなんとそれだけで計算がものの 1 分ほどで終わるようになったのです!

「え、なにこれ。どうなってるの」というわけで調べてみると、どうもこれは「フリーソフトウェア」といって、やり手のプログラマーが寄ってたかってソフトウェアを開発しているものらしい。しかも彼らは「ソフトウェアは自由であるべき」という思想のもと、商用と同等、いやそれ以上のものを世の中にバンバン提供しているらしい、ということが分かったのです。これがフリーソフトウェア、今でいう OSS の凄さと、ソフトウェアそのもののパワーを実感した私の原体験です。

その後も仕事や趣味でソフトウェアはいじったり壊したりしていたものの、当時はまだ個人が自由かつ手軽に使える開発環境というものはあまり普及していませんでした。前述の X68000 用 gcc にしてもシステムライブラリは商用のものを使っており、まずはハドソンさんが出している開発環境を購入して使う必要があったのです。

Linux はいつ出てくるのでしょうか。

池田:そんなある日、開発環境も含む UNIX ライクなシステムを丸ごと OSS として使える ものがある、という話を耳にしました。いわゆる Linux ディストリビューションです。当時は Red Hat を筆頭とする rpm 系と、Debian を筆頭とする deb 系でデファクトの座を争っているような状態でした。どちらにするかは悩むまでもなく、Debian GNU/Linux —— 名前に「GNU」が入っている Debian に即決しました。なにせ gcc の GNU ですから。何も考えていませんね(笑)。

バージョンは確か、1.3 (Bo) だったはず。当時はまだグラフィカルなインストーラなどなく、テキストベースの画面でパッケージを一つひとつ選んでいたので、それだけで1時間とかかかっていましたが、楽しかったですね。特に X が立ち上がったときの感動は、今でもよく覚えています。

そのあとは前述のように、携わっていたビジネスが傾いたり、お仕事がソフトウェア開発になったりして、仕事でも Linux との関わりが増えてきました。ここまで来るともう「仕事でも OSS にどっぷり浸かりたい!」ということで、Linux サポートを行う部署に異動希望を出したところ、Linux カーネルのコミュニティ開発を業務として行うという夢のような環境に入れてもらうことができました。カーネルサイズの極小化や、初期の Cgroup 開発などに携わりましたが、今思えばあれほど素晴らしい環境を用意してもらったのだからもっと貢献できたのではないかと、当時の自分をどやしつけたい気持ちです。

日本のエンジニアを世界へ。LF Japan・OpenSSF・ALOF、3 つの立場からの挑戦

池田:現在は残念ながらあまり、というかほとんど開発はしておらず、もっぱらコミュニティビルディングに力を注いでいます。

米国で勤務した際に感じたのですが、日本のエンジニアってほんと優秀なんですよ。でもそれほど、いやゼロということはないのですが、超人エンジニアとして日本人で名を上げる人って出てこないですよね。スティーブ・ウォズニアック氏とか、デヴィッド・カトラー氏とか、それこそリーナス・トーバルズ氏みたいな。なぜかは未だによくわからないのですが、少なくともやって楽しいと思える人、やってみたいと思う人が増えることで、すそ野が広がることは必要条件だと思うので、OSS コミュニティの拡大・発展に少しでもお役に立てればと考えています。

この思いはまさに Linux Foundation Japan Evangelist のミッションと一致しているので、拝命は大変ありがたいことだと感じています。今は OpenSSF(Open Source Security Foundation)を活動の軸として、日本のサイバーセキュリティ強化・底上げのため、仲間とともに頑張っているところです。

OpenSSF の活動は「Japan Chapter」として草の根的に行ってきたのですが、今年(2026年)の8月には「Japan Working Group」として正式な組織化が承認されました。これによりグローバルコミュニティとのコラボレーションと、日本からのフィードバックの双方向の活動を、より強力に推し進めることができると考えています。皆さんもぜひご協力・ご参画をお願いいたします。

OpenSSF で講演を行う池田宗広
OpenSSF の活動で講演を行う池田

今回 AlmaLinux OS Foundation のボードメンバーに新たに就任されましたが、そもそも AlmaLinux OS Foundation のボードメンバーとはどんなことをする集まりなのでしょうか?その中でどういった活動をされるのでしょうか?

池田:ボード、正確には Board of Directors というのですが、これは AlmaLinux を開発する NPO である「AlmaLinux OS Foundation(以下、ALOF)」 全体の方向性を決めるための合議体です。方向性といっても、技術的な方向性はそれぞれの分野の SIG(Special Interesting Group) が担い、それらを ALESCo(AlmaLinux Engineering Steering Committee)が管制・統制する役割を担っています。

ボードは主に財務や戦略に関する意思決定を行います。そういう意味では ALOF の最上位決定機関ですが、OSS というのはそもそも誰かが方向性を完全に制御するものではないですからね。戦略的意思を主張しつつも、ダイナミックな OSS の開発モデルが継続的に維持できるよう仕組みを整え、そこから生まれる技術的価値を最大化するために方向づけを行うことがボードの役割である、というのが私の考えです。

「好きなことでメシは食えるか?」——エンジニアが人生をかけて没頭できる環境づくり

Linux 以外ではどのようなところに興味を持たれていますか?

池田:コミュニティビルディングと重なる部分も大きいですが、エンジニアがエンジニアとして幸せに生きていける環境づくりには、ライフワークとして興味があります。というのも、技術者の人生にはどうも色々横やりが入りがちだからです。

でも、「これは面白い、これをやりたい!」と自分の中から湧き上がる動機をもとに動くエンジニアは、時にとんでもないことを成し遂げることがあります。先ほどお話しした、日本から突き抜けたエンジニアがあまり出てこないというのは、まさにこの辺りに原因があるのではないかと考えています。

そう言うと「好きなことばかりやっててメシが食えるか」という意見をよく頂くのですが、それに対しては「人は仕事をするために生きているのではない。生きるために仕事をしているのだ」という私の座右の銘で答えることにしています。

自分が「これをやる」と決めた優秀なエンジニアは、それを単なる仕事ではなく、「自分の人生」としてやり遂げます。人からの指示でやらされていたらただのブラック労働ですが、自発的に没頭できる環境は、技術の発展とエンジニアの幸せのために必要不可欠だと思います。そんな未来をつくるための環境づくりに挑戦し続けていきたいと考えています。

仕事や技術以外では、これもライフワークとして音楽をずっと続けています。数年前に高校時代の仲間とバンドを再結成したのですが、まあ歳ですね。速いナンバーに指が全然追いつかない(笑)。いつまで経っても「まだ俺たちリハビリ中だから...」と言い訳しながら、楽しく演っています。

OSS の発展と、エンジニアが輝ける未来に向けて

それでは最後に今後の展望をお聞かせください

池田:ALOF、OpenSSF、LF Japan Evangelist のすべてにおいて、今後の OSS の発展に資する活動を行っていきたいと考えています。特に重視しているのは、「セキュリティの強化」と「エンジニアの幸せ」です。

その延長線上に技術者の王道楽土「テクノ・ライヒ」を建設することが、向こう千年程度の当面の目標です。
音楽の方は、「定年でメジャーデビュー」を目標に活動しているのですが、よくよく考えたらうちのバンド、サラリーマンなのは私だけでした。「お前ら定年ないじゃん!」って(笑)。「R296(成田街道)」という出身地が一発で分かってしまうバンド名なので、どこかで見かけたらぜひお声掛けください。

インタビューを終えて:
インタビューを通じて伝わってきたのは、Linux や OSS に対する並々ならぬ情熱と、技術者への深いリスペクトでした。「テクノ・ライヒ」の建設と「定年でのメジャーデビュー」、どちらが先に実現するのか……。世界的な OSS コミュニティの最前線で走り続ける池田先生の今後の挑戦にご期待ください!
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